在りし日の「えこじの湯」を偲ぶ
昨日は十日町に行く予定があり、「明石の湯」に寄った話は昨日のブログに書いた通りです。当初「千年の湯」に行く予定だったこともあり、越後川口ICから十日町へは川西経由で行くことにし、「えこじの湯」に寄ってみることにしました。
国道117号線から川西方面への県道を進み、小千谷市の最南端の真人(まっと)地区へと向かいました。ここに「えこじの湯」があり、近くに「ふれあいメゾン」もありましたが、ともに今はありません。
親父さんが亡くなって閉館した後も度々前を通っていましたが、その後も取り壊されることもなく、静かに老朽化した建物が佇んでいて、なぜか故郷に帰ってきたような、ほっとした気分になりました。しかし、ここしばらく行くことはなく、どうなっているのか心配でした。
廃墟と化した「えこじの湯」は雪につぶれていました。主を亡くして仕方ないこととはいえ、寂しさ、むなしさを感じました。更地化されていたら気分も違ったのですが、この姿を前にしますと虚無感を禁じえません。
親父さん、女将さんとは、私が20年前にネットで「えこじの湯」を紹介したり、TV番組で紹介したりして世間に知られるようになったこともあり、いろいろお付き合いさせていただくことになりました。
キノコに人生を掛け、特にミヤマサンゴ茸を熱く語る親父さんが懐かしく、健康食品化に際しては私も相談に乗ったことがありました。
超B級の空気感が魅力であり、行かれた方は体験したと思いますが、温泉利用者は茶の間でお茶やお菓子をいただきながら、ときには食事をふるまわれたりしながら親父さんの話を拝聴するのがセレモニーになっていました。今となってはみんな懐かしい思い出です。
2013年8月に女将さんが急死され、悲しんでいた親父さんを見舞い、硬く手を握り合ったのが最後でした。その後間もなくして後を追うように親父さんもなくなり、後継者もないまま「えこじの湯」は終焉を迎えました。(→ブログ)
在りし日の親父さん、女将さんを偲び、しばし合掌して十日町へと向かいました。
国道117号線から川西方面への県道を進み、小千谷市の最南端の真人(まっと)地区へと向かいました。ここに「えこじの湯」があり、近くに「ふれあいメゾン」もありましたが、ともに今はありません。
親父さんが亡くなって閉館した後も度々前を通っていましたが、その後も取り壊されることもなく、静かに老朽化した建物が佇んでいて、なぜか故郷に帰ってきたような、ほっとした気分になりました。しかし、ここしばらく行くことはなく、どうなっているのか心配でした。
廃墟と化した「えこじの湯」は雪につぶれていました。主を亡くして仕方ないこととはいえ、寂しさ、むなしさを感じました。更地化されていたら気分も違ったのですが、この姿を前にしますと虚無感を禁じえません。
親父さん、女将さんとは、私が20年前にネットで「えこじの湯」を紹介したり、TV番組で紹介したりして世間に知られるようになったこともあり、いろいろお付き合いさせていただくことになりました。
キノコに人生を掛け、特にミヤマサンゴ茸を熱く語る親父さんが懐かしく、健康食品化に際しては私も相談に乗ったことがありました。
超B級の空気感が魅力であり、行かれた方は体験したと思いますが、温泉利用者は茶の間でお茶やお菓子をいただきながら、ときには食事をふるまわれたりしながら親父さんの話を拝聴するのがセレモニーになっていました。今となってはみんな懐かしい思い出です。
2013年8月に女将さんが急死され、悲しんでいた親父さんを見舞い、硬く手を握り合ったのが最後でした。その後間もなくして後を追うように親父さんもなくなり、後継者もないまま「えこじの湯」は終焉を迎えました。(→ブログ)
在りし日の親父さん、女将さんを偲び、しばし合掌して十日町へと向かいました。