「湯道」を究めましょう

 2月23日から映画「湯道」が公開されています。企画・脚本:小山薫堂、監督:鈴木雅之、音楽:佐藤直紀で、出演は生田斗真、濱田岳、橋本環奈ほか、個性的な出演者が多数ですが、皆さん裸で出演されています。

FpuIQpiaUAER0eN.jpeg
 父が遺した銭湯「まるきん温泉」を引き継いで切り盛りする弟(濱田岳)と、突然帰ってきて銭湯をマンションに建て替えようともくろむ兄(生田斗真)、銭湯に住み込みで働いている看板娘(橋本環奈)を中心に、銭湯に訪れる様々な人たちの人間模様と、「湯道」の世界が絡み合い、温泉好き・風呂好きには楽しめる物語になっています。
 京都太秦の松竹撮影所内に作られたという「まるきん温泉」と町並みのセットが素晴らしく、存在感抜群です。
 風呂は人の身体も心も温める太陽のような存在であり、「湯」は「太陽」という言葉がエンドロールの歌へとつながりますので、楽しんでください。

 さて、日本人にとっての入浴という行為は、世界でも類を見ない生活文化であり、その精神と様式を突き詰めたものが「湯道」です。
 私にとって温泉は、心身を癒やす聖なる場所であり、無念無想で心を空にし、心の苦痛を解放する場です。
 温泉や入浴の楽しみは、決して泉質だけで論じられるべきではなく、その温泉が置かれた環境、設備、サービスのほか、利用する人の生活、人間関係、社会状況、精神状況など、様々な要素により変化するものであり、これらが複合して楽しみとして感じられるものと考えます。
 気持ち良ければ天然温泉でも沸かし湯でもかまわないというのが私の持論であり、20数年前に書いた私の温泉観は、今でも変わるものではありません。その点で私は源泉掛け流し至上主義者とは一線を画します。
 人を癒し、気持ち良くさせるという意味では、温泉も銭湯も家庭の浴槽も変わるものではなく、優劣をつけるべきものではありません。
 そのときどきの場面・環境で選択し、いずれの場面においても、湯への感謝の気持ちを忘れてはなりません。
 たとえ加熱・循環された湯であっても、温泉を敬う気持ちを忘れず、真摯に向かい合いたいと思います。
 そんな私の温泉、あるいは入浴施設への思いは、「湯道」に通じるものがあり、映画で語られる入浴に関しての思いに熱く共感しました。

 湯に浸かるれることは決して当たり前のことではなく、気兼ねなく湯を楽しめることに感謝し、湯を提供してくれる温浴施設への感謝の気持ちを忘れてはなりません。
 また、公共の場で湯に浸かるときは、常に隣の客や次に来る客のことを思う心が大切です。湯に浸かる前には体を清め、お喋りなどすることなく静かに湯船に浸かり、洗い場を後にするときは、洗い椅子を揃え、洗面器を逆さに伏せて、次の客が気持ちよく使用できるような心遣いが大切です。
 そして、湯に浸かるときは雑念を払って湯と対峙し、湯に浸かりながら自己を磨くことが大切です。
 これらの「感謝の念を抱く」「慮る心を培う」「自己を磨く」という「湯道」の精神を私も究めたいと思います。
 なお、「湯道」は、作者の小山薫堂が2015年から提唱しており、詳しくは「湯道」公式サイトをご覧ください。

 私は温泉マニアではなく、風呂好きであり、温泉も沸かし湯も人工温泉も、分け隔てなく楽しみ、私なりの「湯道」を追求していきたいと思います。